【シリーズ】PXCを支えるプロフェッショナルたち:メリット・デメリットは環境で変わる。物事は時間軸を加えた4Dで捉える。 

(Interviewer:PXC株式会社 UTSUSU編集長 田村 典子) 

Interviewee:

5SENSE株式会社 代表取締役社長 / PXC Inc. Digital strategy consultant 中島 雅文 氏

 

シリーズ第6回目の最終回は、5SENSE(ファイブセンス)株式会社 代表取締役社長 中島 雅文 氏。PXCのデジタル ストラテジック コンサルタントとして、ハンソクエスト サービスプラットフォームの改善・運用に関するアドバイスやご支援を頂いています。 

― 本日は、ベトナム ホーチミンとオンラインでインタビューをさせて頂いています。中島代表は、最近はASEAN各国への出張も非常に多いとのことで、大変お忙しい中、お時間を頂きあらためまして有難うございます。よろしくお願いいたします。

(中島 氏)よろしくお願いします。

 

PXCとの関わり、ご縁 

 

― はじめに、PXCとのご縁についてお教えていただけますでしょうか。

(中島 氏)2021年頃、御社の菅野CEOがベトナムにいらっしゃったタイミングでお会いしました。その後、具体的な案件で飯澤COOがベトナムに来られる機会があって、その時に飯澤COOにもお会いしました。 

― そこでの弊社経営層との出会いががきっかけで、PXCの基幹事業のプラットフォームである「ハンソクエストhttps://hansokuest.jp/」の改修や運用をはじめ、集客LPの企画・制作、デジタル広告運用に至るまで、幅広く支援していただいているということですね。 

(中島 氏)当時からPXCさんでは、「ハンソクエスト」というビジネスマッチングサイトと「AMAIZIN(アメイジン)https://amaizin.biz/」というAIを搭載した記事量産エンジンの2つの事業を柱とした成長戦略をお持ちで、その2つのサイトに関して、弊社5SENSEとしてベトナムでのオフショア開発と事業としてのマーケティング支援、それとサイトの運用とメンテナンスの部分で伴走支援が可能ですということでお話が進みました。その後、お二人にお会いしてから一年後くらいで「ハンソクエスト」のリファインプロジェクトがスタートしたという流れです。 

― そこから今現在に至るまで、5SENSEさんには多くのご指導・ご支援を頂き、おかげさまで前期も多くの新規リードを獲得することが出来ました。 

(中島 氏)それはなによりです。そもそも、わたしがこのハンソクエスト事業の支援をお引き受けした理由としまして、私自身、5SENSEを創業する以前は日本の工業商社に勤めていまして、そこで大手企業から発注を請負う“ものづくり”の中小企業さんを数多く支援していたので、ハンソクエストの事業ビジョンにすごく共感できたというマインドの部分がかなり大きかったですね。製造業の請負仕事は基本的に商流が長くなりがちで、それと相まって業界的に“手形文化”が非常に根強いので、最近日本では法規制でそのあたりについてはだいぶ改善されてきましたけど、当時は手形文化であるがゆえに黒字倒産する会社さんもかなり多かったですしね。これと相反して、日本のものづくりは世界的レベルでみても非常に優れていて、実力としては業態チェンジが出来るくらいの技術力を持っているにもかかわらず、業界の慣習や商流の縛りでなかなか新しいことに取り組めない。もしくはそういった改革的志向が生まれないよう、下請けという立場に対しての暗黙の了解がつくり上げられていたりするので。もちろん、製造業の現場から変えられることもあると思いますが、別の業界から新しい風を入れないと変えられない部分が多い土壌であることは事実なので。私自身、そういった日本の“ものづくり”の置かれている環境を改善したいという思いで5SENSEを創業したというルーツもあるので、PXCさんのハンソクエスト事業には大いに賛同し取り組ませて頂いています。 

― そうだったんですね。大変有難いご縁に恵まれたことに改めて感謝いたします。  

 

中島代表のビジネス経歴

 

― 次に、先ほども少しお話に出ましたが、中島代表のこれまでのビジネス経歴についてお教えていただけますでしょうか。 

(中島 氏)大学を卒業して日本で5~6年ほど製造業の商社に勤めていました。その当時の製造業の業界は、先ほどお話したように黒字倒産する会社もかなり多い時代でしたが、そんな状況下でも目に見えて業績を伸ばしていた企業がありました。メーカーでいうと「トヨタ」「村田製作所」「キーエンス」「ダイキン」、B to B向けの企業ですと「モノタロウ」「ミスミ」「アスクル」とかです。そして、これらの企業には共通点があって、ひとつは高技術系のテック要素を持ったメーカー、もうひとつは高い自動化技術を持ったB to B向け企業、そしてさらにこの両方に共通していたのが“ソフトウェア”の強みを持つという点でした。そこから自身のキャリアにおけるポジションチェンジの必要性を感じて、情報工学の大学院で博士号を取得するために、製造業の商社を辞めて一年間その準備期間としてニュージーランドに滞在しました。でも、わたしがニュージーランドから戻ってきて博士号を取得しようとした頃には、もうASEANのマーケットがかなり伸びてきていて。その拡大していくASEANマーケットを目の当たりにして、かなりのチャンスを感じましたので、これは早めに自分のポジションを置いておかないと…、と思って博士課程には進まずに、ベトナム現地の「エボラブルアジアhttps://evolable.asia/」というソフトウェア開発会社に入社しました。エボラブルアジアは、旅行事業で有名な「エアトリhttps://www.airtrip.co.jp/」と、「ハイブリッドテクノロジーズhttps://hybrid-technologies.co.jp/」という開発会社のおおもとの会社です。 

― そうなんですね。当時、そのエボラブルアジア社では主にどのような仕事をされていたのでしょうか。 

(中島 氏)PMOのような役割で、自社のリソースや拠点のメンバー管理、ソフトウェア開発の支援と、割合規模の大きい日系スタートアップ企業さん、日本の大手企業さんのソフトウェア開発支援を担当していました。 

― 当時は、日本で入社されたのでしょうか? 

(中島 氏)いいえ、開発拠点であったベトナム現地で入社しました。 

― その時点でのエボラブルアジアさんの会社規模ってどのくらいだったんでしょうか? 

(中島 氏)ベトナム現地の会社はまだ立ち上げたばかりでした。会社規模としては300名ほどのステージだったと思います。割合、初期段階のメンバーとして入社した感じです。 

― そちらの会社では、何年くらい勤めていらっしゃったんですか? 

(中島 氏)その会社で2年程在籍しました。その後、ベトナムでオフショア開発を始めたばかりの企業で1年勤めた後、自分の会社を創業しました。 

― そこで創業された会社が、現在の5SENSEですか? 

(中島 氏)そうです。創業が2019年1月なので、今年で7期目になります。 

― お聞きしたお話で云うと、現在の5SENSEとして7年目ですが、中島さんのベトナムでのビジネス経歴は、以前、務められていた会社さんでの期間を含めると、今年で10年目になるということですよね。 

(中島 氏)そうですね。  

 

現在、精力的に取り組まれていること

 

― それでは次に。今現在の5SENSEさんのメイン事業と、今後拡張予定の事業をおしえて頂けますでしょうか。 

(中島 氏)弊社の基本的な事業は、5SENSE(ファイブセンス)という社名のとおり、「センサー」という考え方が軸になっています。人間の持つ五感に対する様々なマーケティング活動は、ソフトウェアという工業的な“モノ”であっても表現することが十分可能で、事実それについては工業面からも明らかになっています。5SENSEでは、その考え方を主軸に事業を分化させて、コングロマリットに提案・実行していくことを企業特性としています。 

*5SENSE株式会社の掲げる企業バリュー 

具体的には、ソフトウェアの開発事業、それとエージェンシー機能としてのマーケティング事業、それからASEANに対する日本からの越境進出サポートを行うクロスボーディング事業、この3つの事業で編成しています。さらにそれぞれの事業概要について説明しますと、開発の事業部は、企業からの受託案件として、テックソリューション構築の支援活動ソリューションと、自社プロダクトの「ソーシャルドライブ」というサービスで、SNSの分析・運用支援を行っています。マーケティング事業部は、エージェンシーとして幅広く企業のマーケティング支援活動を行っています。クロスボーディング事業部では、企業がASEANへの越境で直面する様々な課題の解決支援を行っています。今期から特に注力しているのが、リテールのマーケティング支援です。日本からASEANに進出する際、企業が持つ技術や商品・サービスのテスト展開でのインデックスリサーチや、企業活動の環境設置支援や展示会の企画・運営等、逆に日本に進出したいASEAN諸国の企業さんに、日本国内で有用なIPをセットして日本での販売支援なども行っています。 

― 事業としては3軸ということですが、実行範囲としてはかなり幅広くなりますね。特にクロスボーディング事業につては、ASEAN諸国を横断的に活動されることになると思いますので、物理的にもかなりの時間を要するでしょうし。そういったところで云いますと、中島さんは5SENSEの代表でいらっしゃいますが、会社の組織体制はどのようにされているのでしょうか?ある程度の案件に関しては、各事業部のTOPに裁量を渡して一任しているかたちでしょうか? 

(中島 氏)そうですね。以前は、開発事業とマーケティング事業についてはトップダウン型にしていたのですが、今は事業部ごとに日本人のダイレクターを配置して、裁量範囲内で一任しています。 

― その組織体制の中で、中島さんが主に直接取り組まれている部分が、事業の拡張部分にあたるわけですかね。 

(中島 氏)おっしゃる通りです。今、力を入れている事業としてマーケティング事業とクロスボーディング事業、この2つについては、わたしが直接的に案件に関わって動いています。具体的な例としては、プロダクトを日本国内で製造して、ASEAN各国にブランド展開していく取り組みで、各国の小売店の調査なんかも現地に出向いて実施しています。且つその各国でマーケティングエージェントとしても動いているので、ここ最近は本当に海外出張が多くなりました。 

― 具体的にいうと、今現在はどのあたりの国へのご出張が多いのでしょうか? 

(中島 氏)基本はASEAN諸国になりますが、今、出張することが多い国は、フィリピン・タイ・インドネシア・マレーシア・ラオスあたりですね。 

― なるほど、それはかなり大変そうですね。確かにそういった案件ですと、ビジネスにおける経験値もさることながら、コミュニケーション能力や柔軟性など様々な能力が必要になりますよね。そうなりますと、やはりそこは中島代表が自ら担うべきポジションという事になるわけですね。それと、展開のスピードや効率を考えるに、各国で即決しなければならない事も多いと思われますので、それもあって代表者自らが出向くことが重要ということなのでしょうね。 

(中島 氏)今現在はそうですね、おっしゃる通りです。クロスボーディング事業の他、マーケティング事業でも海外遠征が多いので、その2軸で各国に出向いているかたちです。目下、日本の大手食品メーカーさんが立ち上げたASEANの新会社でストラテジー担当として参加しているので、ASEAN各国の代表の方々とやり取りをしながら、各国でのマーケティングやディストリビューターの選定などを支援しつつ、現地でのイベントやプロモーションの企画なども行っています。 

― 本当に多岐にわたりますが、すべて切り離せない事柄ですよね。 

(中島 氏)そうですね。それと今、生産拠点とか販売拠点における人事戦略とか評価制度の設計とか、そういった各国の拠点における組織の整備も担当していたりするので、どの国でもローカルに深く入り込んで仕事をしている感じです。 

― それで云うと、ゆくゆくはインドも入ってきますよね。 

(中島 氏)そうですね。インドは入りますね。 

― その後、アフリカですか? 

(中島 氏)その後はオセアニアになると思います。アフリカは販売拠点としてではなく、生産拠点としてですね。 

― なるほど。それにしても、販売拠点と生産拠点って、根本的に完全な別物ですよね。 

(中島 氏)おっしゃる通りです。私に商社でのバックグラウンドがあるので、そのスキルを持ち合わせた上で、ソフト面からストラテジーが組めるという、ある種、特殊なポジションになっているのだと思います。実際、ASEAN諸国で販売支援が出来る会社は沢山あるのですが、生産効率を考えて、その生産量をもとに流通・ディストリビューターの選定から、販売チャネルごとのマーケティング計画を立てて、最終的に生活者とのタッチポイントになるデジタル領域でソフトウェアの開発から支援が可能なので。 

― 中島代表のスキルセットが、ASEANに進出される企業にとって、非常に魅力的であり効率的ということなんですね。そうなりますと、当然、5SENSE社では、中島代表が頻繁に関わらなくても、その他の基幹事業や案件がしっかりとまわっていくような組織になっていないと、というわけですね。 

(中島 氏)はい。縦の指示系統と、事業部長同士の横の連携がしっかりと出来るような組織を構築しています。 

 

仕事において重要視していること

 

― 次に、ここからは少し内面的な話になってしまうかも知れないのですが、中島さんがビジネス上で大切にしていることとか、ご自身の中での鉄則とか、そういったものがあればお聞きしたいのですが。 

(中島 氏)はい、それでいいますと、一つ目としては当社のミッションに掲げている内容:「データとテクノロジーで 世界をより豊かな社会へ。誰もがフェアに活躍できる社会を実現したい」ということが、まさに、わたしがビジネス上で重要視していることを表していますね。先にお話したとおり、私の経歴の中で工業系の商社で様々な日本の町工場を見てきたという経験があって、その時に感じたアンフェアな環境とかは、実は変えられるし、環境が変わることでメリット・デメリットは全て反転しますし、そういった環境によって全ては変わっていくという考えが自分の中での第一原則にあって、例えば、優秀な社員や出来の悪い社員という評価も、実際には、“今現在、その人たちが置かれている環境下における評価”であって、それが一つでも変われば、それって割合すぐに逆転しちゃうんですよ。つまり、そういう部分での「普遍」って実はあまり多くない。じゃあ、普遍のものとして何が在るのかと云うと、唯一確実にいえるのは数学的なもので、それだけは間違いなく普遍。わたしは、その2つのことを常に思考の軸に置いて、物事を判断するようにしています。その他もう一つ、わたしが重視していることは、物事を4Dで捉える思考です。2Dで考えて、それを3Dにしていくということではなく、そこに時間経過を加えて4Dとして思考することを基本ベースに持つ必要があると思っています。例えば、「モノ」が今、そこに在るのは、当然、時間経過とともに移動してそこに在るわけなので。まとめますと、物とか人とかの生み出すメリット・デメリットは、最適な環境に配置すればデメリットがメリットになるケースがあり、ビジネスは、基本それらが動くことで成り立っているわけなので、平面とか立体で捉えるだけじゃなくて、時間経過で先々を予想しないといけない。わたしは、この2つの視点がビジネスの重要な鉄則だと思っています。 

― 今のような中島さんの思考は、いつ頃どのようなことがきっかけで培われたのでしょうか。 

(中島 氏)中高生くらいから、すでにそういうことを考えていましたね。 

― やっぱりですか。このインタビューシリーズでお話させて頂いた起業家や創業者の方々は、皆さん、ずいぶんと若い時分からご自身の考えとか行動の軸をお持ちなんですよね。 

(中島 氏)そうかも知れないですね。わたしもその当時から、自分のいる場所とか学習するものを変えながら、一方で、「もしこの先目指す方向がこっちなら、このタイミングでこれを経験しておかないといけない」というような、4Dの時間軸で捉えて物事を判断し、それに伴う行動をとっていたように思います。 

― 学生時代から、そのような思考をお持ちになった理由といいますか、影響を受けた人・モノ・事柄などがあれば教えていただけますでしょうか。 

(中島 氏)それで云うと、父親の影響は大きいかもしれないですね。わたしの父親は生物考古学系の研究者で、そのジャンルでは世界に一人しかいないというトップ研究者なんです。幼少期から身近に「その人以上その事柄に関して理解している人がいない」というアカデミックな学者がいたので、自然と理論的な思考が身に付いていたのかも知れません。 

― そうだったのですね。そういった思考になるということには、もちろん遺伝的な影響もあるのでしょうけど、先ほど中島さんも仰っていたとおり、そういう考えに自然となるような環境に在ったということなんですね。 

(中島 氏)そういうことですね。 

― それで云いますと、中島さんが社会に出られてからも、お父様からアドバイス頂くようなこともあったのでしょうか。 

(中島 氏)そうですね。さすがに今は無いですが、最初に入社した商社を退職してキャリアポジションチェンジの為に情報工学系の大学院で博士号取得を目指していた当時、やっぱり彼曰く「やるんだったらとことんやりなさい」と。でもその後、時代の流れをよんだ上で、「博士課程を取ると結構いい年齢になっちゃうから、もうその筋で第一線の業界に行った方が早いよ」というアドバイスをくれましたね。当時、わたしがすでにベトナムにいたということもありますし、当然、自分自身でも、そう思ったからこそ決断したわけですけど。 

― お父様が中島さんに最も近い偉人であり、影響因子だったわけですね。 

(中島 氏)そうなりますね。そういう父親なので、わたし自身かなりの成果上げないと何かを成し得たという感覚になりにくい性質かも知れません。 

― まさに環境によって培われた思考であり性質というわけですね。  

 

ビジネスにおける今後の展望

 

― 最後に、中島さんのビジネスにおける今後の展望をお聞かせ頂けますでしょうか。 

(中島 氏)はい、実はそこも結構はっきりしていまして。これまでお話していたとおり、つくりたいのは「場所」なんですよね。そして、そこでは常に「人」が中心にある、色んな人との出会いが有る「環境」。それで云うと、わたしの目指す最終ゴールはスマートシティみたいなものをつくることですね。 

― 街をつくる。 

(中島 氏)はい、それを実現すれば、どんな場所であっても経済や文化を発展させることが出来、結果、活性化した生活圏が生まれれば、その国も人も豊かにできるという考えです。特に人口減少と少子高齢化によって、現段階で明らかに未来の見通しが良くない日本ですが、例えば、日本のパスポート保有率は17%ですが、お隣、日本同様に少子高齢化問題を抱えている韓国のパスポート保有率は60%を超えているわけです。いわゆる先進国の中で、世界的にみても日本のパスポート保有率は著しく低いわけです。その事実からも、島国の特性なのか日本人は海外に出て日本以外のことを知ること・学ぶことを積極的に行わないというだけでなく、それによって自国の良さや強みを知り得ないということにもなり、ゆえに当然、世界のビジネス競争から外されていくわけですよね。海外に滞在していた経験のある多くの方がおっしゃることですが、日本の良さは、やっぱり日本の外からじゃないと気付かないことが多いんですよね。それもあって、もう、それなら世界的に魅力ある街を日本に新しくつくって、日本の未来を変えていこう!というのが、わたしの考えであり、未来のビジネスの展望です。でも、そのわたしの考える構想は、あくまでスマートシティなので、今、日本で流行りみたいになっている地方創生のような、単に生産拠点として良いですというような企業誘致ではなく、ましてや単なる観光客誘致のためのブランディングでもなくて、世界基準で見て、世界の人から見てもその街はクールだよねって思うぐらいのレベルのスマートシティ、そういうものをつくらないと、人口減少に対する抜本的な課題解決にならないと思うんです。 

― かなり大規模なビジネス構想になりますね。実現までにどれくらいの期間を想定していますか? 

(中島 氏)それは、自分の生涯をかけてですよね。 

― 80代とかですかね。中島さんの人生の残り40年くらいのプロジェクト。 

(中島 氏)はい、80歳までやってようやく種ができるかな…、ぐらいだと思います。 

― 次世代に引き継いでいく事業ということですね。 

(中島 氏)そうですね。とにかく人口減少が深刻化していけば、国を運営していくのに当然、海外から良い人材や働き手が必要になりますよね。そういう人たちが日本に来るきっかけや動機を生み出すには、先ずこのASEANからコングロマリットに事業をやっていくことで、ASEAN以外の諸外国のそれなりのポジションの人たちとも密に事業をやっていく機会も多く持てますし、そこで培った様々なネットワークと様々な事業を礎にして、日本におけるスマートシティ構想に賛同してくれる世界中の企業や団体を集めて実行していければと思っています。実際には300年くらいの計画になるかも知れないですけどね。でも、わたしの生涯をかけて、その構想の実現に邁進していきたいと思っています。 

― 本日は色々なお話をお聞かせいただき有難うございました。引き続きPXCのデジタル ストラテジック コンサルタントとしてご指導・ご支援のほど宜しくお願いいたします。  

 

5SENSE株式会社 コーポレートサイト https://www.5sense.tech/
 

5SENSE株式会社

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 〒569-1123 大阪府高槻市芥川町2-14-20 
●ホーチミン(ベトナム / 5SENSE JSC)  
35 Xuân Thủy, Thảo Điền, Quận 2, Hồ Chí Minh, Vietnam 
●ホーチミン(ベトナム / Aimable Management Consulting JSC)   
19m Đ. Nguyễn Hữu Cảnh, Phường 19, Bình Thạnh, Hồ Chí Minh 700000 

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