【シリーズ】Focus on PXC employees : PRのプロが見出した“伸びしろ”。PXCのアセットと経験値を掛け合わせた新しい価値の創造    

(Interviewer:PXC株式会社 UTSUSU編集長 田村 典子) 

Interviewee:PXC Inc.

PXC株式会社 AMAIZIN事業グループ 広報・PRユニット 
ユニットリーダー 宮崎 哲

 

シリーズ第4回目は、2025年7月にAMAIZIN事業グループの広報・PRユニットリーダーとして入社した宮崎 哲 氏。PXCに入社したきっかけやこれまでのキャリア、今後の展望などについてお聞きします。  

 

PXCとのお付き合いのきっかけ 

 

― はじめに、宮崎さんがPXCに入社されることになったご縁のきっかけをおしえてください。 

(宮崎)PXCの飯澤COOとの繋がりが入社のきっかけです。飯澤COOと僕は大学の同級生なんですよ。  

―え?同級生なんですか?  

(宮崎)はい。2002年の日韓ワールドカップの年に同じ大学に入って、同じ学部で、クラスも一緒でした。つまり学生時代から長い付き合いの友人です。飯澤COOとは大学時代、ワールドカップを一緒にTV観戦したり、テスト前に一緒に勉強したり、夏休み一緒に遊んだりしていました。その後、お互い社会人になって、僕は新卒で映像系の制作会社に入って、その後PR会社に入ったんですが、その頃、飯澤COOがアメリカから帰国して「A to J」という会社を起業していまして、その時、僕がPRで飯澤COOの会社に記事の露出とライティングを相談したのが仕事での最初の関わりです。

―それは今から何年ぐらい前ですか?  

(宮崎)20代後半の頃なので、今から15、6年前ですね。 

―じゃあ、大学を卒業して10年も経たない間に、仕事で飯澤COOと関わっていたということですね。 

(宮崎)そうですね。そこから、ここ5・6年前に飯澤COOがコンサルティングで関わっていた地方再生の案件で、今度は僕がPRの相談を受けたんですが、そのタイミングで僕がPR会社から転職して事業会社に所属していたので、そのときは元所属していた会社の橋渡し役を担いました。その後、飯澤COOが正式にPXCの代表取締役COOに就任したタイミングで一緒に食事に行く機会があって、そのときに「一緒に仕事をしよう」という話になりました。そこから、AMAIZIN事業グループのグループ長で役員の佐々木さんやアントロットの代表取締役の上田さんを紹介していただいて、皆で一緒にやりましょう !という流れで入社しました。 

 

ビジネス経歴 

―それでは次に、宮崎さんのこれまでのビジネス経歴についておしえてください。  

(宮崎)映画が好きだったので、映画配給会社で宣伝の仕事をしたいと思っていたのですが、大学卒業当時は、映画配給会社の新卒採用枠があまりなくて、それならと思って、その当時、映画の制作を手掛け始めた映像プロダクションに入社して、そこで2年間勤めました。 

―その映像制作会社は、主にどのようなジャンルの映像制作を手掛けていたのですか? 

(宮崎)もともとはNHKの番組制作をメインにしていて、基本的にテレビの番組制作を強みとしている会社でした。そういったメインの受託案件収益を糧にしながら、新しい映像コンテンツを制作するためにファンドを作って、映画とか映像コンテンツに投資しながら、自分たちの制作もしていく、というようなことをやっていた会社でした。 

―その映像プロダクションでは、宮崎さんはどのような仕事を担当していたんですか?  

(宮崎)映画制作に必要な資金は、基本、自分たちのファンドから調達していましたが、それだけでは映画をつくる予算が確保できないので、映画に関わる仕事を複数の会社に依頼するのが主な仕事でした。制作は自社でやって、配信はA社、DVDとかビデオの製造販売はB社とか。映画関連のビジネスを事業とする各社が出資しながら映画制作に必要な経費を分割してリスクヘッジするという、いわゆる映画制作委員会としての仕事になります。新卒でしたので、そこのプロデューサーの補佐的仕事がメインでした。  

―企画、プロデュースというような役割ですかね。ビジネスを創る思考がないと出来ないですし、出資・共同事業者を募るという役割が大きいので、営業力もないと出来ないですよね。 

(宮崎)まあそうですね。でも、当時は補佐役でしたからね。  

―それでも、「門前の小僧ならわぬ経を読む」と云いますからね。 

(宮崎)まあそうですね(笑)。 

― その映像プロダクションの後はどのような会社に入られたのでしょうか。  

(宮崎)その映像プロダクションは、映画業界という幅広い分野でいえば、もともと目指していた映画の宣伝に近しい会社ではありましたが、やっぱりメインとしては制作でしたし、本当にやりたかった宣伝の仕事もなかなかできなかったので、2年で退社して、その後、総合PR会社のベクトル(https://vectorinc.co.jp/)に入社しました。当時、「戦略PR」というトレンドが出始めた時期だったので、PR会社としても人材が欲しいタイミングだったんですよね。  

― ベクトルさんといえば、皆が良く知る「PR TIMES」を子会社に持つ大手PR会社さんですよね。 

(宮崎)そうですね、でもまだ当時は上場していなかったですね。 

―そうでしたか。  

(宮崎)はい、ベクトルで約5年ぐらいPRの仕事をして、その後、株式会社ドーム(https://www.domecorp.com/)という事業会社に入社しました。その会社は、スポーツプロダクト事業で 「アンダーアーマー」の日本総代理店の権利を有しているのですが、そこでブランドマーケティング部に所属しまして、マーケティング活動に関する様々な企画や具体的施策を担当していました。 

―その事業会社さんでマーケティング全般の経験値を得たわけですね。その後は?  

(宮崎)はい、そのあとはPR会社のベクトルに再入社しました。出戻りですね(笑)。それというのも、事業会社に入った時に、それまでの自分のPRでの経験値があまり通用しなかったんですよね。それで、自分のPRの能力はまだまだだなと改めて痛感しまして、もう一度、古巣で修行し直そうと思ったわけです。そこからベクトルで約8年間、またPRの仕事をしました。  

―長いですね。やっぱりPRの仕事が宮崎さんには合っていたということですかね。 

(宮崎)そうですね、結局は14年間弱ベクトルでPR関係の仕事をしていましたので。勿論、そこでアカウント業務も行いつつ、マネジメント職も経験させていただきました。  

―どのくらいの規模のマネジメントをしていたのですか? 

(宮崎)40人弱くらいですかね。 

―結構大きいですね ! 

(宮崎)そうですね、割と経営に近いレベルのマネジメントでした。 

―その出戻ったベクトルさんのあとにも、まだ経歴があるのですよね。 

(宮崎)はい。その後、また事業会社に入社しました。 

―PRの経験を積み直して、事業会社に再チャレンジしたわけですね。 

(宮崎)そう言うと聞こえは良いですけど(笑)、ベクトル時代のクライアントさんに、お声がけいただいたのが入社のきっかけです。日立のグループ会社で日立グローバルライフソリューションズ(https://corp.hitachi-gls.co.jp/)という家電の製造販売会社で、そこの宣伝部に所属しました。冷蔵庫や洗濯機がメイン商材でしたが、掃除機とかオーブンレンジ、炊飯器などキッチン周りのいわゆる白物家電の宣伝担当ですね。そこでPRは勿論のこと、テレビCMも含めた4マスを担当しました。 

―宣伝部となると、活動の幅がかなり広くなりますね。  

(宮崎)はい、いろいろと経験出来て良かったと思います。でも、そこも一年で辞めちゃいまして、その後、株式会社ライツアパートメント(https://www.rights-apartment.com/)というエージェンシーに、当時そこにまだPR系のチームが無かったので、新しい機能として立ち上げるというお話で入社しました。その会社が、PXCに入る前職の会社になります。  

―本当に色々なフィールドで経験をされてきたんですね。でも、軸足は広報PRなんですよね。 

(宮崎)そうですね。一番スキルとして持っているのが広報・PRになるかと思います。 

―そして、飯澤COOにお会いしてPXCに入社されたと。 

(宮崎)はい。飯澤COOと仕事をしたいという気持ちと、彼に対する信頼があったというのが最たる理由ですが、一緒に新しいことに挑戦していきたいという思いが強かったですね。 

―そういう選択をされたということですね。 

 

仕事をする上で大事にしていること 

 

―多くのビジネス経歴をお持ちの宮崎さんですが、仕事をする上で大事にしていることを教えていただけますでしょうか。  

(宮崎)自分のキャリアの軸足にしているPRを追求し続ける姿勢で仕事をしていきたいと思っています。そもそもPRって本当はもっと広い概念なんですよね。海外だと広告代理店の上にPRエージェンシーがいたりして、つまりPRは企業と世の中との関係をつくる役割を担っているので、時代が変化して施策や手法が変わったり多様化しても、パブリックリレーションズ自体の重要性は絶対にブレないし変わらないものだと。そういった、企業が世の中に存在することの意義と関係性を紡いでいくパブリックリレーションズというものを、 自分自身でもしっかりと捉えていきたいですし、そうやってスキルアップというか、自分の強みとして成長させていきつつ、常に時代に合ったソリューションを提供できる人材でありたいと思っています。 

―自己研磨ですね。 

(宮崎)それともうひとつは仕事仲間を増やしていくという考え方です。PRのソリューション提供先には、様々なクライアントがいて、業種・業態も違えば商材も違う、当然ターゲット層も異なるわけで、それに対して自分が100%自分ゴト化できるだろうか?というと、さすがにそれは難しいと思うんですよね。そうなると、恐らく一人でやるのには限界が出てくると思うので、一緒に考えて共感できるような仕事仲間と色々な意見を交わしながら提案・実行していきたいと。 

―PRとして自分の考えを追求することに加え、その考えを広げるという意味で、多くの人と繋がりそして他者の考えを吸収していくということですね。 

(宮崎)PR軸は変わらないと思います。それと色々な人との繋がりという点で云いますと、PXCは、菅野CEOをはじめ、飯澤COOや新しい役員の方がいっぱい入ってきていますよね。色々な人との繋がりをお持ちの方が多く在籍しているという点も、PXCの魅力だと思っています。ですので、今後PXCの方々とも上手くコラボレーションして、わたしの経験やスキルが活かせたらいいなと思いますし、さらに自分自身がアップデート出来たらいいなと思っています。  

現在、精力的に取り組まれていること 

 

―今、一番精力的に取り組まれていることを教えてください。  

(宮崎)先ほどもお話しましたが、仲間というか共感してくれる人を探すことですかね。できるだけ色々な人に声をかけて、PXCに入ってくれる仲間ができたらいいなと思っています。  

 

今後の展望

 

―最後に、宮崎さんの今後の展望についてお聞かせください。  

(宮崎)PXCはSP領域のハンソクエスト事業グループとAIライティングとかYouTube動画とか戦略PRのAMAIZIN事業グループの2つの事業グループで、簡単には言えないくらいの色んなサービスやソリューションたくさんあると思うんですけど、現状はまだそれが単発でパラレルに動いちゃっているイメージがあるんですよね。もちろん、ひとつのクライアントさんに様々なサービス提供はできていると思うんですが、もっと個々のノウハウを横串で横断させて、立体的に組み合わせて提案していけたらなと。50年以上の歴史を持ったセールスプロモーションのノウハウと、新しい様々なサービスのノウハウを持った色々なプロがいるという強みを、もっと活かせていけたら、すごく良い会社になると思うんですよね。わたしもPRっていう専門領域にいましたけど、PRって本当に範囲が広くて、これだけやっていればいいって話じゃなくて、色んなことをしてきたんですよね。それこそイベントをやったり、WEBサイトをつくったりとかもPR会社の延長線上でやってきたので、うまくそこら辺を結びつけられるような経験はあるんじゃないかなと思っているので、それをAMAIZIN事業グループ内でも、AMAIZIN事業とハンソクエスト事業の両グループでも実現したいと思っています。 

―それこそが、飯澤COOが代表取締役就任時から提言している“MMM(マルチ・マテリアル・ミックス)”ですね。まさに長きご友人同士 !お二人の考えは一緒なんだなぁと思いながらお話をお聞きしていました。  

(宮崎)今、この飯澤COOのインタビュー記事(https://pxc.co.jp/utsusu/magazine/2221/ )を見て、確かに言ってるわ !と思いました(笑) 

―そうなんですよ。これは現状PXCの課題でもありますね。でも、少しづつ出来始めている部分もあります。最近ですと戦略PRとセールスプロモーションの組み合わせとかですね。それ以外にも掛け合わせの考え方はPXCの主軸にし始めていまして、このweb 「UTSUSU」の冊子版「UTSUSU」の最近の号では、ほとんどの記事が掛け合わせの考え方による取り組み紹介になっています。ただ、おっしゃる通りまだまだ出来ることはたくさんあると思います。 

(宮崎)もっとそういう取り組み増やしたいですし、掛け合わせをより立体的にしていけると良いですね。 

―宮崎さんは色々なビジネス経歴をお持ちなので、今後、飯澤COOの提唱する“MMM (マルチ・マテリアル・ミックス)”の牽引に尽力いただけることを大いに期待しています。

本日は、貴重なお話をお聞かせいただきありがとうございました。 

(執筆 田村典子)

 

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